台風なめてました。
せっかく敷いた人工芝にピンを打ってなかったので、めくれたりして大変です。
庭の敷居としてたてたラティスも吹っ飛びそうになり、やばい箇所は急遽取り外したりして、対応に追われています。
やるな! ジェラワット~! という気分です。
まぁ、満月の夜にこんな風が吹くので、またこれでいろいろと浄化が進んでいるような気もしますので、楽しくなっていたりします。
人の悩み事の多くは、人付き合いから発生します。
生まれてすぐに所属するコミュニティーである家族から始まり、幼稚園や学校などの集団生活の場を経て、社会人となり世の中の多くの人と係ります。
この中から学び成長することも多くありますが、人生をどれだけ生きてもやはり悩み事の多くは、人との係わりから生じてきます。
人との係りは、肉体と言葉での交わりだけでなく、目に見えないエネルギーや念、波動などといったものも交わります。
エンパスの人などは、そういった目に見えないものを受け取りやすく、たまにネガティブな念などを受け取り、体調を崩すことがあります。
人ごみに居て、なんとなくあの人に近づきたくないとかは、感覚的に自己防衛が働いており、自分にとって不快なエネルギーなどに近づかないようにしているんですね、実は。
これもちょっとした、好きか嫌かというセンサーによるものですが。
ヘミシンクをするときでもそうですが、リーボルや自己バリアを張ります。
なぜか? 自分にとって不要なものから身を守る為です。
念やエネルギーを扱う、レベルの高いサイキッカー・霊能力者・ヒーラーなどは、きちんと境界線となるバリア的なものを形成し、人や念体・エネルギー体などからの影響を受けないようにしたりします。
そういったレベルの高い人は、人や念やエネルギーに干渉されないように、エネルギーのベールで包まれていると言われます。
視える人には視えるそうです。
なぜそういうことをするか?
そういった人達は、自分にとって不快なエネルギーや念などが入ってくると、自分がおかしくなることを知っているからです。
そして普通の人でも、自分にとって不快なものや不要なものを直感的に判断するのが、直感的な好き・イヤという感覚です。
人は生まれてから家族と係り、学校などを経て社会に出て人と係り続けます。
そういった中で、常識やルールを学ぶ過程で、好きや嫌いを表現することを制限されてきました。
特にイヤというものは、ダメとされることが多く、自分の意志に関係なく周囲に同調するようにさせられてきました。
ですので、人との付き合いの中でも、どちらかというと好きという方向で仲良くしなければならない、という感覚がつきまといます。
同時に、嫌だなという感覚には、嫌っちゃダメ! という幼少から沁み込んだ感覚もつきまといます。
特にダメとさることには、神様やご先祖様など見えない世界の人達から怒られるとか、あの世に行って良いとこにいけないとか、そんな感じの脅しを言われたりすることもあり、かなり厄介だと思います。
ボクもそうやって教えられてきたので、いつも誰かに見られている恐怖感がある時期までありました。
少し話がそれたりしましたが、上記のヘミシンク時のリーボル、エンパスによる影響の軽減、念やエネルギーなどを扱う人などの話、それとボクの経験。
ボクは、それらを交えて考えて、人との付き合いにおいて好き嫌いはあっていいと思っています。
その感覚が、周囲との境界線を明確にして、影響を受けにくくすると思っているからです。
ここで大切なのは、自分にとって好きか嫌いかというものであって、嫌いな人が悪者ではないということです。
嫌いな人は自分に合わない、それだけのこととして、あとは気にしないのがベターです。
それでも気になってしょうがない場合は、自分がズレているだけです。
何かしらその人の嫌なとこばかり見てしまい、それを正そうとしてたり、自分の感覚の正当性を周囲に理解してもらおうとしてしたり、いろいろと不要な干渉をしようとしているだけだったりします。
有名なバンドの歌詞でありますが、
「誰かを思えば仇となり、自分の胸に突き刺さる」
まさにこういうことなんですよね。
それと、いわゆるワンネス的な思想があります。
全てはひとつだから分かり合える的なものや、わたしはあなたとか、みんなキョウダイみたいなものだから仲良くとか、他にもあるかもしれませんが、ボクは興味がないのでこれ位しか浮かびません。
そして、先に書いたエンパス、リーボル、サイキッカーさん達のことと、ワンネス的思想が矛盾しているように思っています。
自分の悩み事の多くが人との係わりからきているのに、ワンネス的思想を自分に持ち込むと、嫌いな人とも仲良くしましょうということになり、これがまた悩みの種を増やしていきます。
この場合、ワンネス思想的なことができない自分は心が狭い・ダメな人間だなどの自責をしていきます。
最悪なパターンが、人にやれ過去世の影響だのカルマだのいろいろと言われて、それらの浄化が必要ですとなり、その為に有難いかどうか分からない何かを推奨してきて、結局のところ銭次第ということになったりします。
周囲との交わりを意識しすぎる為に、自分を苦しめるなんて本末転倒のようにボクは思ってます。
周囲との交わりが大切で必要なことならば、ヘミシンク中にリーボルは不要だと思いますし、エンパスの人も念などを受け取っても不快に思わないはずです。
サイキッカーや霊能者などもバリアや境界線を必要としないと思います。
そんなこんなを考えていると、ボクはワンネス的思想よりも、今は自分と周囲との境界線はしっかりとすべきと思っています。
そうでなければ、精心的な自立はありえない訳でして、自立できないということは、周囲に干渉や介入や影響されっ放しの人生となっていくと思います。
そんな訳で、ワンネス的思想で『今ここ』が、とても楽しくて嬉しくて幸せであるならば、そう思える人だけやればいいというのがボクの考えです。
ただ知っておいた方が良い考えとして、周囲を意識させる思想や教えは、過去の偉人の影響を受けたものです。
その根本は『他が主』という、自分を無くさせる思想から来ています。
今は、皇(昼)の時代へ移行しているので(いわゆるアセンション)、宇宙や地球のエネルギーがプラスに変わってきています。
本当は嫌なのに、自分の心にウソをついてまで、好きでもない人を受け入れるという行為は、自己犠牲となりマイナスのエネルギーとなります。
そういった流れで、今までの生き方に矛盾を感じ、自己探求を始める人が増えていると思います。
そして、せっかく自己探求を始めたのに、自分を無くす思想に交わってしまい、また自分を苦しめている人も多くいるように感じます。
まぁ、これは魂や生き方の癖で、知らず知らずに自分を苦しめるものに近づいてしまうからなんですけどね。
マイナスのエネルギーとは、物質エネルギーを意味します。
約2500年程前から、地球はマイナスエネルギーの星だったので、物質文明期となり物を造り上げる時代でした。
租(夜)の時代とも言われ、暗闇を無事に進む為に誰かに付き従い、導かれる必要性もあった時代です。
男の時代とも言われて、破壊と創造を繰り返す時代でもありました。
その為に人の命よりも、物やお金が大切にされ、何かを作り上げる為に個は犠牲にされてきました。
ただ、皆が同じ方向を向き、集団や群れが統率されなければいけないという時代でもあったので、自分の考えや思いを主張するより、自分の心にウソをついてでも従っていた方が生きやすかった時代でもあります。
そんな感じで輪廻転生を繰り返しているので、段々と自分の心にウソをついていることすら分からなくなっている程、何かが麻痺していることが多いです。
今、一般的に解釈されているワンネス的思想は、この租の時代のルールに当てはまり、自己犠牲の上での人間関係を構築する結果になるとボクは見ています。
本来在るべきワンネス思想とは、良いも悪いも、善も悪もなく、精心的に自立した個人ができることをして、干渉することも、されることもなく存在しあってるものと思います。
自分ができることを皆それぞれが楽しくやっていれば、他人の事に必要以上に興味が湧かなくなります。
人の事で悩んでいる人は、如何に自分の人生を楽に楽しく喜んで幸せに生きて行くかということについて、時間を割いていないことになります。
自分の事を考えていないので、ズレて何かしら悩むのです。
人に必要以上の興味を持たないということは、不要な争いが減っていきます。
そして『自分ができること』がそのうち、『自分だけができること』に変わっていき、人と競い争う必要が皆無になっていきます。
その結果、自分にできないことをする人から、何らかの形で足りないところを補ってもらえるようになります。
逆に、自分ができることで、いつのまにか補われる人が出てきます。
こういった相互関係が、精心的な自立の先に必ず生まれます。
そういった個人の集まりが、町となり市となり、県となり国となり、大きな規模での良い相互関係を築いていくことになります。
これがあるべきワンネス的思想だとボクは思っています。
国というものがあるのは、土地の波動に関係します。
やはり、土地固有の波動というものがあり、土地固有の産物がでたり、波動に合った人が集まり、思想・思考などができあがり、伝統が生まれ、その集合体が国となるからです。
ボクはこういった考えでして、今は無理してワンネス的思想を意識せずに、自分の心を大切していく時期だと感じています。
そんなこんなで、精心の自立の上に成り立つ時期に入っていると思います。
ボクのブログには、精心的な自立というものを良く書いています。
これからは、個から全体を形成していく時代になるので、『自分が主』となっていきます。
良い意味で自己中心的になっていきます。
良い意味での自己中心的とは、精心的な自立の基に成り立ちます。
精心的な自立とは、自分の人生を自己責任で生きて行く、ということになります。
皆が自分の人生を、自分で責任を持って生きて行くので、悪い依存も無くなり、被害者意識や加害者意識なども消えていきます。
自己中心的になるということは、好き嫌いがハッキリしてきます。
これはエネルギーの変化も関係していて、人は自分にウソをつけなくなっていくことにも関連します。
こんな感じで好き嫌いがどんどんハッキリしてくるので、どんどんと気が合い波動の合う人達でグループができてきます。
そして先に書いたような、良い相互関係の世界が出来上がっていきます。
ちょっと今回は長くなり、同じようなことを繰り返し書いたかもしれません。
ですが、1年もしないうちに世界はこうように進んで行くと思います。
地球がプラスの星になっている以上、環境が変わっていくので人は環境に合わせていかないと生きていけません。
多くの人がこういう意識に目覚めれば、移行はスムーズになると思いますが、時間が掛かれば掛かるほど、自然さんがそれを促そうとしてくるでしょう。
そうあって欲しくないですが、最悪は「生きてるだけで幸せなんだ…」、と誰もが心の底から思い、意識を180度変えさせられる程のことが起こるかもしれません。
最後はヘンなことを書いてしまいましたが、縁があってこのブログを見られた方の多くに、何かしら感じるものがあれば嬉しく思います。
最後まで読んでいただけて嬉しいです。
たむ
コメントをお書きください
みつ (月曜日, 01 10月 2012 13:09)
いつも、ブログを楽しくみています
今回は、力がこもってますねー
いや、毎回ですね (^_^;)
秋の気配を感じはじめている今日この頃です
たむ (月曜日, 01 10月 2012 14:33)
みつさん
コメントありがとうございます。
大切な事だと思い、ちょっと力が入ってしまいました^^;
ブログを楽しみにしていただだけて嬉しいです!
みつさんがどんどん変化されていることが伝わってきます。
それがまた嬉しくて、ボクも進んで行けます。