ボクと妻の間には愛息子が一人います。
自分が家族を通して経験して知ったことや、学んで実感したことなどを統合して接するように心がけています。
肉体的にはボクと妻のDNAを継いでいますが、『別の魂を持った、別の人格である一人の人間である』ということを一番大切にしたいと思っています。
魂的感覚で言うと、友人という位置付けで、ソウルメイトであることを忘れないようにしています。
とはいえ、せっかく息子という友人が、ボクに父親というものを体験させてくれているので、今のところ親バカなボクを楽しませてもらっています。
大きくなるにつれて行動範囲も広がっていきますから、危険なこと、やってはいけないこと、処世的な考えなどは、ぼちぼちと参考程度に教えていく必要は出てくるのでしょう。
その時には、きちんとできるように自分を整えておきたいところです。
できる限り息子の個性と学びを尊重し、親の思いやエゴなどで不要な干渉や介入をしないつもりです。
のびのびと育って、自然に心の自立を身につけていってもらおうと思っています。
もし、息子の自立が早くて、時代も大きく変わり、12歳にして才能を開花させて世に羽ばたくことがあったとしたら、しっかりと背中を叩いて送り出したいと思います。
何にも縛られずに自分の人生を楽しみ尽くして欲しいと思っています。
まぁ、送り出したあとしばらくは妻と二人で泣いているでしょうが(;_;
段々と縁の優先順位が変わってきています。
今のところは、まだ家族との縁が自分より上位にあります。
これも今までの仕組みによるもので、人を○○家というところに縛りつけて、個性を失わせて管理するという、見えない世界を含めた流れから来ています。
こういった仕組みが悪いといったものでなく、今までの見えない世界を含めたシステムがそうであっただけで、そうでないといけなかったという程度のものです。
女性が嫁ぐというのも、○○家の男の管理下に置かないと、女性が本来持っている能力の関係上、そうしないと都合が悪かったからでしょう。
女性は神聖なものに繋がりやすいですし、神聖な意志を継ぐ魂と生命を育むことができますからね。
今までの男性性的な時代には、女性には控えめに居て欲しかったというものでしょう。
そういった流れと古い時代のルールが複雑に絡み合い、家系の縁が優先されており、子供の立場からすれば親というものが絶対的に近い存在となる場合が多いです。
残念ながら世の中の風潮もそうである為、せっかくパートナーと出会って自分の家庭を持ったのに、親の影響を受け続けて悩む人も多くいます。
また、知らない間にそういったことが継承され、自分の子供に形は違えど同じことをしている場合も多くあります。
こういったことに関連して、親子の縁を尊重しすぎる余りに、虐待による悲劇は増加する傾向にあります。
こういったことは、肉体的なDNAの継承や血縁を重視し、『魂と人格は別な一人の人間』というものが軽視されている為に起こります。
スピなどで、人間の肉体は器と言われたりしますが、人の目を引くキレイごととして使用されることが多く、こういった実生活レベルまでその解釈を落とし込んでいないことが非常に残念です。
ボクの器(体)は親を通してできましたが、親もそれぞれの親からできました。
遡れば、生命体ができたのは人の力で無く、自然さんがやってくれたことです。
こういうことを忘れて、親は子供の創造主と勘違いしている風潮に疑問をいだきます。
子は親の宝と言いますが、間違った解釈をすると子を所有物と思ったり、自分の成しえなかったことをやらせようとしたりします。
最悪なのは親孝行を求める行為です。
子を持つ親となって分かりましたが、子供は存在するだけで親に幸せと学びを与えてくれます。
健康で楽しく幸せに生きていてればそれでいい、それ以上のことを望むから何かが歪むのだと。
最近は、縁の順番の変化にも兆しが出てきています。
数か月前にやっときたかと思ったのが、ある女性が実の母と縁を切った手記が、本になり少々話題になっていたことです。
実の母親から嫌な影響を受け続け、大人になっても不要な干渉や介入をされた著者が、母親との縁を切ったという内容の本です。
でも、多くの女性が共感し本を買ったというものでした。
やはり女性は敏感で、自分を大切にすることや心の自立などを、何らかの形で意識している人が増えていると思います。
誤解がないようにしておきたいのは、縁を切るということが良いという訳ではありません。
自分の為に、物理的にも心理的にも距離を置く、ということが大切なことだということです。
子供の虐待問題も、児童相談所や役所と学校との連携や責任問題が取り上げられたりします。
ここで厳しい事を書くと、虐待されている子供がそれでも親といたい、ということを選択してしまっている事実があります。
残念ですが、子供も知らず知らずのうちに、古い縁の順番やルールに汚染され自己犠牲をしているのです。
生まれる前に、そういう親を選んでしまったこともあります。
そしてこの世に生まれて、子供ゆえに自分で選択できないという理由が大きいのですが…。
また、虐待死した子供がそういう役割の魂だったとする場合もあります。
でもボクはこれは違うと思います。
何かを学び成長するために地球にやってきた魂が、そんなことを目的にはしない、楽に樂しく幸せに生きたかったはずだと。
多くの人が新しい縁の順番に気づかないと、集合意識は変換されずに、こういった連鎖はなかなか変えられません。
この場合、今生きている大人にできることは、子供に心の自立の大切さを教える事ではないでしょうか。
心が病んでいる親と子供を同居させることでないと思います。
親もある意味不完全で成長の過程にあることや、肉親だからといって立派な親になれない場合もあることをきちんと教えるべきです。
だからといって、親も悪くないし子供も悪くないということも教えるべきです。
そして、何よりも自分の命が最優先であり、自分を大切にしながら生き延び、存在し続けることの意味と価値をきちんと教えるべきです。
そして、虐待などがある機能不全家族という環境にいるのは、人より早く心の自立を学ぶ必要性があったからだと、子供に理解させる方が良いと思います。
そいったことを親にも子供にも教えて、少し別々の時間を過ごして、お互いが成長した後で改めて話をして、今後どうするか決めれば良いと思います。
子供には親の愛情が必要と言われますが、心が病んだ親の歪んだ愛情など本当に必要でしょうか?
様々な影響で心に余裕のない親に、無理して子供の世話をさせることが大切なのでしょうか?
子供の虐待は生死に係るDVですから、血の繋がった親子の縁を優先するのか、子供の魂と命を優先するのか、どっちが良いか選択すべき時に来てると思います。
ブログタイトルのように、縁の優先順位をどうするかですね。
理論ではこれからの縁の順番を、1.自分 2.友人(年齢関係なし) 3.子供 としています。
他にもありますが、ここまでにしときます。
ボクは3年前に、長男だからという理由で親元にいることをやめました。
自分の人生は自分の為にあると気づいたからです。
そして、昨年は理論に出会い縁の話を聞きき、自分は間違っていなかったと確信できました。
だから、息子にも同様の生き方をして欲しいと思っています。
もちろん、ソウルメイトとして一緒に何かすることになったり、どうしても傍にいたいと言いだして、それが意味のあることならば一緒に生活しますけどね♡
今は様々な浄化が起こっています。
もし、肉親からの影響が強すぎてお悩みの方がこのブログを読まれたならば、何かしら参考にしていただけたらと思います。
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